青空に向かって咲くために

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2018年12月24日
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物が使えるようになる

フランス旅行の収穫はもう一つありました。

旅行前に友達が「パリのキャンドル屋さん」という本を貸してくれて、
その中に「キャンドルは溶けてなくなってしまっても、過ごした素敵な時間は思い出の中に残るのです。」と書かれていました。
私にとっては衝撃的な一文でした。

今まで物を使うことができなかったんです。キャンドルや化粧品みたいに使ったら減ってしまうものはもちろん、それ以外の物も使ったら劣化してしまうことが気になって持っていても使えなかったんですよ。
もちろん捨てることなんてできませんので、部屋は物で溢れかえっていました。
でも、この本の一文で意識が変わって、無くなることや劣化することを恐れて使わないなんて本末転倒だと思うことができたんです。

相変わらず片付けは苦手なので部屋は汚いままですが、これだけでも状況はかなり変わりました。
今を生きるということに繋がっている気もします。


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2018年12月15日
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パリで気付いた本当の幸せ

2004年9月下旬、アモキサンがすっかり効いて元気になった状態でフランスに行ったので、旅行は素晴らしいものになりました。
無気力、無関心がなくなったので、何を見ても感動するし、興味深いことばかりで楽しかったです。
引きこもって死ぬことしか考えていなかった数カ月前と比べると凄い差ですよね。

フランスでは、街で見かける人々が日本人と比べて幸せそうな表情をしているように感じました。
日本人の大人は不満そうな顔をして生活している人が多いと思っていました。
振り返れば、あんな大人になりたくないなというところから出発して、変な方向に向かってしまったのが、鬱の原因だったんですよね。
まだ学生だった自分から見た大人は、「仕事があるから定年になるまで海外旅行に行けない」とか「お金がないからそんなもの買えない」とか、仕事や子育てや家事を理由に何かにつけできない、買えないと言っていたし、自由に生きている人を悪く言っているイメージでした。
せっかくなんでもできる時代に生まれているのに、仕事と家事とほんの少しの娯楽だけしかできないなんて、そんな人生を送るのは絶対嫌だと思っていました。
そのためには、普通の会社員になってはいけない。クリエイターとかアーティストとか時間もお金も自分の自由になり、色々な体験ができる仕事につかなければ!と強迫的な考え方になっていました。
でも、やみくもに頑張ろうとして上手くいかなくて心が折れたり、遊んでいる友達がむかついて心の中で見下したり、色々とこじらせてしまい、その結果、鬱で自殺未遂という大変悲惨な状況を招いてしまっていました。

フランスでは公衆トイレは有料の所が多く、入り口にトイレチップを徴収する係の人がいるのですが、パリのトイレでその係の女性が楽しそうに鼻歌を歌いながら仕事をしている姿を見ました。
一日中、トイレの入り口でお金を徴収する仕事なんか全然良いと思えないけど、その人は幸せな空気に包まれていました。
幸福というのは職業と関係ないんだ、目から鱗が落ちる瞬間でした。
鬱の時友達に相談した時に言われていた「何をしたいの?」「何をしている時に楽しいの?」という言葉。全然意味がわからなかったのですが、その時にそれが繋がりました。
幸福な人生とは楽しんで生きること。職業とかお金とか人から羨ましがられる地位とか、そういうギラついたものではなくて、ただただ満足して楽しみながら生きること、それこそが幸せということなんだ、と気づかされました。
働くことがずっと怖かったんですが、どんな職業を選んでも幸せになれるとわかったので、就職する恐怖心がなくなりました。


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2018年12月10日
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再び精神科へ

精神病院に入ってそこで生きていくという目標ができたので、それを叶えるために1回だけで行ったきりになっていたクリニックの予約をしました。
口頭ではうまく伝えられない気がしたので、レポート用紙に今までの経緯をまとめました。
先生から処方されたパキシルは飲まなかったこと、自殺未遂したこと、世界中の犯罪者と自分の罪の重さを比べたことなど、全部書きました。
そして、それを受け取って読んだ医師は「うん!これは典型的な鬱病ですね。大丈夫、薬で治るからね。」とおっしゃいました。
鬱病じゃないんだけど!どっちかと言うと人格障害みたいな感じで、性格に問題があるんだってば!とこの期に及んで思いましたが、まずはおとなしく出された薬を飲むことにしました。言われた通りに飲んで効かないことを証明して、この子は治らない原因不明の病気だと判断してもらう作戦でした。
2週間分の薬が出ました。新薬だと言われました。思った通り、飲んでも全く変化はなかったのでそのことを伝えると、別の薬が出されました。その薬では吐き気や湿疹などの副作用が出ましたが、症状は改善しませんでした。この2つの薬のうち、どちらかがデプロメールです。もう1種の名前は忘れました。
これも副作用のみで効かないとなると、新薬より古典薬の方が効くタイプかもと言われ、アモキサンという薬が出されました。アモキサンも数日は全く効果が無かったですね。
そんな中、フランスに行こうと思ってツアーに予約しました。以前から大学生になったらフランスに一カ月アパートを借りたりして滞在し、建築や芸術を見て回りたいと思っていたのです。
でも、こんな状態になってしまって、海外のことを調べて旅行に行く気力も体力もありませんでした。何より、行く場所を決めて旅行の計画を立てて予約をしたりすることが、とんでもなく難しいことに思えました。それで行くことなんて諦めていたのですが、ふとツアーに乗っかるだけなら行けるかもしれないと思ったのです。この病院に収監されて一生を終える計画が成功したとしたら、もう一生海外になんていけないのです。この世の最後の思い出にフランスに行ってみたいと思いました。それに、運良く(笑)旅行中の事故で死んでしまうかもしれないじゃないですか。と、いうことで旅行会社が企画したツアーに申し込んだのですが、パンフレットを読んでツアーを選択して、申し込みに行くといったこともしんどくておそろしく時間がかかってしまいました。
出発日の2週間前を切り、締め切ったツアーに申し込んで、新たに飛行機の席やホテルを確保して頂くなど、旅行会社の方に大変お手数をおかけして予約をしました。こんな状態でフランス旅行なんていけるのかなと不安でした。

2週間ごとに精神科に通っていたのですが、通院当日いつもより気分がスッキリしているなと感じました。いつもはギリギリの時間に起きて、服だけ着替えてボロボロな状態で駆け込んでいたのですが、その日は時間に余裕があったのでカルボナーラを作って、それを食べてから行きました。何をするのもだるかったのに、カルボナーラを作るなんて!
そして通院の帰りに本屋さんに立ち寄ると、本や雑誌が面白そうなものばかりに思えました。そしてインテリアや食器の雑誌を買って帰ります。ここ5カ月間ほど、自殺と精神病にしか興味が無かったのにインテリアですって!雑誌も読むのが苦痛だったのですが、楽しくて仕方がありませんでした。なんて綺麗な色!素敵な形!こんなの欲しい!健全な女子みたいな思考が浮かんできます!
長い間、何をするにも億劫でちょっとしたことで疲れ果てていたのですが、エネルギーが有り余っている感じになってきました。何もしていないのが、退屈に感じて、何かをしていたい衝動に駆られます。何を見ても興味深く、素晴らしいもののように感じます。
え、まさかアモキサンが効いてきたの?てことは本当に鬱病だったの?
フランス旅行の準備もてきばきと終えてしまいました。頭が悪くなってしまい、何も考えられないし決められないと思っていたのですが、そんなことも嘘みたいです。肌もニキビでボコボコになっていて、生理も5カ月間止まっていたのですが、それも元通りになりました。肌もツルツルです。(この時はアトピーが出ていなかったのです。ひどくなったのは社会人になってから)
精神病院に一生収監されることを目指して行動したら、病気が治ってしまったんです。
しかし、本当に鬱病だったとは驚きです!


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2018年12月2日
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自殺未遂その後

自殺未遂をしたのが、大学3年生の4月だったので、夏休みを迎えるまで大変な苦労をして通学しました。
とにかく疲れて、だるくて仕方なかったです。
授業もよく遅刻していたし、提出物ももの凄く低いクオリティーで出しました。
服を着替えるのも、お風呂に入るのもだるくて大変でした。歯ブラシが鉄の棒みたいに重くて、日常生活が重労働でした。
普通の人が難なくこなしていることが、こんなにも大変なのに、どうやって生きていけばいいのだろう。
やはり、人並みにお金を稼いで生きていくことなんて無理じゃないのかと思いました。
友達ともどんどん話が合わなくなってきているので、人と関わるのを避けるようになっていました。
夏休み前の最後の授業が終わると、安堵のため息が出ました。
これで、2カ月半ほど何もせずにいられる。

夏休みは夜中までネットをして、明け方に眠り、15時くらいに起床するという人間として最低の生活を送っていました。
起きたら空いた時間はずっとネットです。それくらいしかやる気力も体力もないんですよね。
幸い、母親が働いていて日中いなかったので、だらだらとネットをすることができました。
ネットで調べていることは自殺とか精神病関連です。
ある時、ヘヴィ・メタ好きの精神科医のサイトに辿り着きました。
精神的に問題を抱える人たちが医師に質問をし、毒を含んだメタルな感じで質問に答えていくサイトでした。
ある日、自分は性格がおかしいというような質問に
「安心しろ。お前は性格が悪いんじゃない。精神病なんだ。だから治療をすれば治るから。」といったような回答がありました。
あれ、私も性格が悪いから何事もだるいと思っていたけど、もしかしたら病気なのかな?という考えがよぎりました。
もしも精神病だったら、精神病棟に入ってそこで生きていくことができるかも!という希望の光が差し込みます。
精神病棟で一生を終えるという新たな目標ができました!
そこで、一度きりになっていた精神科を再度受診することにしたのです。


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2018年10月21日
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自殺未遂④

部屋の窓枠に座ってカウントダウンしていると、急に父親が部屋に入ってきました。
「ちょっと!何やってるの!」
その声を聞いて母親も入ってきます。
「馬鹿なことして!いいかげんにしなさい!」
服を鷲掴みにされ、窓から引き下ろされます。
「あんただけ楽になろうとしてんじゃないよ!やるしかないでしょ。頑張るしかないでしょうが!」
鬱の人には言ってはいけない言葉が飛び交います。(鬱の自覚はなかったですが)
自分の死ぬタイミングは今ではないんだと悟りました。
見えない力が働いて、死ぬことを阻んでいるように思えました。
どんなことをしても死ねないのだろう。戦場に行ったとしても、弾が当たらなかったり、生死に関係のないところを負傷して病院に搬送されて助かったりしそうな気がしました。
薬を大量に飲んだせいで気持ち悪くて仕方がなく、次の日は学校を休みましたが、2日後には普通に授業に出ていました。
もう大学も辞めたいと親には伝えたのですが、鬼の形相で行けと言われたので、頭の中をキーンという高音が鳴り響いている状態で受講していました。
高音は一週間もしないうちに聞こえなくなりました。

一度自殺に失敗すると、モチベーションはダダ下がりになります。
それまでは眠れず、食事も喉を通りませんでしたが、一転して過眠・過食になりました。
一時的に母親は優しくなり、昼食代にお金を使わずに済むようにとお弁当を作ってくれるようになりましたが、一カ月くらい経っても一向に元に戻らない私を見て我慢ができなくなったようで、「もうそんな状態なら死んでよ!家族に迷惑かけないように、樹海に行け!樹海に行って死ね!」と車のハンドルをボンボン叩きながら叫んでいました。(一緒に車に乗ってる時に言われたんですよね、確か)
樹海は結構ハードルが高いんだよなぁと思いつつ、「自殺」というキーワードでネットサーフィンを続けます。
そうしていると、「自殺しても意味がない理由」といったようなタイトルのブログ記事に辿り着きました。
スピリチュアル系のブログで、自殺しても同じ課題でループしたり、もっと重い課題になってしまったりするそうです。
そして、今生きている現世が一番地獄に近いそうで、自分の課題を解決する以外に楽になることはできない、とあります。
そうなんだ、ここが地獄なんだ。じゃあ、地獄を這いつくばってみようか、という思いになりました。
死なないで済む方法を何とか探せないだろうか、少し気持ちが変わっていったのです。


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2018年10月20日
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自殺未遂③

方法については色々考えました。
まず、電車に飛び込むのや、ビルから飛び降りるのはNGです。
だって迷惑になってしまいますからね。
罪をこれ以上重ねたくないから死ぬのに、人様の迷惑になっては本末転倒です。
首吊りや樹海に行く系は準備が色々大変です。
とにかく疲れやすくて行動するのが大変な中で選べる方法ではないし、途中でバレて止められそうです。
残る方法は服薬。できれば臓器提供などでお役にたちたかったのですが、全てを満たす方法はありません。
自分には苦しい方法がお似合いな気もしますが、とにかく迷惑をかけないことが大前提です。

小学生の時に「完全自殺マニュアル」という本が流行っていて、市販薬で死ぬ方法というのが書いてあったのを思い出しました。
思い立ったら吉日です。
すぐに薬局に行き、最大量を購入。カッターで細かく砕いて、ヨーグルトに混ぜて少しずつ摂取しました。
苦くてまずいですが、このくらいは頑張らないと!自分を咤しながら全て完食。

ベッドに横になっていると自宅の電話が鳴りました。
妹に取り次がれると、大学のカウンセリングルームの先生でした。
「急にどうしてるか気になって。その後どう?」と言われました。
どうって・・・、マジで自死する5秒前!とか言えるわけないし、
「この前頂いたお薬が効いて、気持ちも明るくなってきたんです!」と精一杯の明るい声で答えました。
なんでこんなタイミングに!また一つ嘘をついて罪を重ねちゃったじゃん!と後悔しました。
しばらく経って、今度はアクセサリーか何かの営業電話です。またまた妹が取り次いできます。
こんな時に売り込みされても!めんどくさいから適当に断ります。
「もう人生に絶望して死にたいくらいの心境なんですよ。そんなの売り込んだって無駄ですよ!」と応えると、
「俺、沖縄出身なんだけど、好きな言葉があって、ぬちどぅー宝って言うの、ぬちどぅーってね命のことなんだよ!生きるってそれだけで素晴らしいことなんだよ!」と言われて電話終了。
えええ・・・、目に見えない力に止められてるのを感じます。
そのうち、キーンという音が聞こえるようになってきます。遂に脳がおかしくなってきた。
そろそろかな・・・と思って寝ていると、急に後悔の念が湧いてきました。
本当に良いのだろうか、今ならまだ間に合う。
急にベッドから起き上がり、トイレに行って薬を全部吐いてしまいました。
吐いてからすごく後悔したし、自分を責めました。こんなことも完遂できないのか!情けない!
薬はもう無いし、残る方法は、部屋から飛び降りるしかない。
マンションの4階で微妙な高さでしたが、仕方ありません。
窓の柵に腰かけてカウントダウンしました。
10、9、8、7・・・・・


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2018年10月14日
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自殺未遂②

眠れない、食べれない、意欲は何もないという日々が続きました。
自分は悪い人間だったのだと思い、過去に後悔し、関わった人たちにお詫びをしたい気持ちになりました。

「お金をかけて育てて頂いたのに期待に応えられずに申し訳ありません。」という手紙を親に書いたりもしました。
一人でいると不安で押しつぶされそうになるので友達に電話して相談したり、大学のカウンセリングルームで相談したり、命の電話に電話したりしてしまいます。
今まで悪いことばかりしてきて後悔している、生き方を誤ったという謙虚な姿勢なんで、みんな優しいんですよ。大人はそんなことに若いうちに気付けたなんて凄いじゃない、と言うし、友達は「20歳の春じゃん!(私は21歳だったのですが)楽しいことばかりだよ!」とか「私は生きていくのが楽しみだよ!」とか、あなたはそうなんでしょうね…と思いますが、まあ励まそうとしてくれるわけです。
母親には「あんたは鬱ではない。自分で鬱だと思うということは決して鬱ではない。気付いたなら頑張りなさい。眠れないなら、その時間に字の練習をしなさい。あんたは字が汚いから。」とか言われます(笑)

大学のカウンセリングルームの勧めで心療内科を受診してパキシルを処方されました。不安な気持ちを鎮めるお薬ですということでしたが、飲みませんでした。私は鬱ではないし、この薬を無駄にしてしまうと思ったから。それに不安はなくなっても、問題は「異常な疲れやすさ」と「やる気のなさ」と「集中困難」なんです。そしてその原因は自分が人の好意を無下にする最低な存在だからだと思っていたからなんですよね。

自分の判断は全て間違っているのではないかと思ったし、人に対して悪いことをしてはいけないという思いも加わって、どんどん判断することができなくなります。脳の働きも悪かったので、何も選択できないし、自分の意見も言えない、超頭悪い状態に突入します。
誘いを受けたらもう断れないので、疲れているのに参加。母親の友人の方々と出かけた時に、いくつか失態を犯してしまい、もうこれ以上罪を重ねたくない!(大袈裟な!)と思い、一刻も早く逝かなくては、という決断をします。
元々行動力には自信があって、決断してから実行に移すまで早いんですよ。
自殺のカウントダウンの始まりです。


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2018年10月8日
から YURI
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自殺未遂①

大学3年生になり授業が始まると、専門性が増していてついていく自信が全くありませんでした。
アート系、クリエイティブ系の学科だったので、自分の表現したいこと、作りたいものが起点になるのですが、自分の内面を見つめてみると、「何もない」という答えしか出てきませんでした。
そして、就活セミナーも始まりました。実際自分が社会に出て何ができるだろうかと考えると、やはり何もない、と思ってしまいます。
その時点で自分の立っている足元がグラついて、闇に吸い込まれていくような感じがしました。
まだ学生なんだし、できなくて当たり前、就職してから頑張ればいいという考え方にはなりませんでした。みんなのように頑張れるのだろうか、毎日働けるんだろうか、集中力もないし、すぐに疲れて日常生活もままならないのに、と思いました。
就活セミナーでは今頑張らないと正社員になれなくて負け組になり(当時勝ち組、負け組という言葉が流行っていました)一生低賃金にあえぐことになると散々脅されました。きっと自分はそうなる。行く末はホームレスになって路上で死ぬんだと確信しました。
で、こんな状況でも努力によって何とかしようとするんですよね。
遊びの予定は入れず、家にいる時はひたすら勉強だ!と決めたのですが、結局「やりたいことは何にもない」ので、何をやるべきかわからない。闇雲にタイポグラフィーの練習したりして、夜明け近くになって、何をやっているんだろう、これをやったからって何になるっていうんだろうと自問自答する。で、不安と焦りが襲ってくるというようなことを何日か繰り返していました。
そもそも何でやりたいことが無いんだろう、集中できないのはなぜなんだろう、と考えていくと、何にも興味ないし、何も好きじゃないからという答えに辿り着きます。
それに、気が散りやすく友達の話を聞いてなかったり、人から言われたことをすぐに忘れてしまうのも、その人に関心がないからだなと思い至りました。自分は心底思いやりのない最低な人間だと気づきます。
いつもどこかで人のことを見下して、批判的なことばかりを考えていたような気もするし、自分は救いようのない悪人のような気がしてきました。
そして、世界に名だたる犯罪者と自分を比較して、どっちが罪深いか、なんて考えるようになります。(この時点で病気なんですけどね)
自分は世界一の犯罪者で、たくさんの人を不幸にしてしまうんじゃないか、そんな気がしていました。それを防ぐためには死ぬしかないのかもと、自殺というワードが浮かんでくるようになります。


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2018年9月30日
から YURI
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どいつもこいつも、チャラチャラしやがって!

と、思っていました。主に大学生の時です。

門限が22時だったことと、バイトができないことで、みんなと同じように夜遅くまで遊べなかったり、とにかくお金が無くてできることが制限されていたんですね。
バイトは禁止ではなかったけど、夜のバイトができないため、実質シフトに入るようなバイトに就けなかったので、たまに単発の日雇いバイトみたいなのをやっていたんですが、月に2回くらいしか入れなくてとにかくお金が無かったです。
都内の大学に通っていたので、派手に遊んでいる子やお金のある子も多く、そういう人たちと比べて鬱々としていました。
あと、家には妹や弟がいたので、テレビのチャンネル権もなく見たいものが見れないし、みんなが知っている芸能人とか話題についていけなくて、以前に引き続いて話が合わないことが多かったです。
親や家が関係していることもありましたが、自分で制限をかけていることもありました。
とにかく大学にいる間が勝負だと思っていて、ここで力をつけてお金も稼げて、かっこいい仕事(笑)に就かなくては!と思っていました。
クリエイターとか創造的な仕事をしたかったのですが、やりたいことも絞り切れてなくて拡散しまくっていました。
やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、集中できない、疲れやすいという症状はあいかわらず酷くなる一方で気持ちだけ追い込まれて焦っていました。
周りの奴らみたいに遊んでいたらいけない、今頑張らないとみじめな将来になる!そう思って、遊ぶのを制限して頑張ろうとしていたのですが、いざやろうとすると色んなことを考えてしまって、時間ばかりが過ぎてしまって大したことができませんでした。
でも、遊んでないし、お金もない、頑張っているのは気持ちだけ。そして、遊んで好きなものを買っている友達が許せない、という最悪な状態でした。
今頑張らないと未来がないぞ、と自分を追い込んでいる状態で、どんどん時間は過ぎていく。
大学2年生の冬頃には、焦りと不安がエスカレートしていって、心臓がバクバクして眠れなくなっていきました。
そして大学3年生の4月、ついに限界を迎えます。


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2018年9月26日
から YURI
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哀しみと創造性

鬱的な症状に悩まされてきましたが、当時は鬱だと思ってもいませんでした。
思春期特有の繊細な感情だと思っていたのです。
小学5年生くらいから小説を書き始め、高校に入る頃になると映画や音楽、絵画やアートに興味が広がっていきました。
そうすると、自分の苦労が多い環境や経験、メランコリーも財産だと思うようになってしまいました。
何でも生かそうとしたり、タダでは立ち上がらないところは我ながら前向きでたくましく思いますが、それが苦しい状況に長い間留まらせる原因となったと思います。
自分の内側に宿る仄暗さが好きでした。この暗さと哀しみが芸術を生み出すのではないかと思っていました。
実際、アーティストや作家は精神病や鬱っぽい人が多くいましたし。そうならないと一人前とは言えない。健康、健全なんて一般人、素人!と思っていました(笑)
芸術性と創造性を培うために辛い経験を甘んじて受けてしまったり、人と違う経験を積むために厄介な人と関わってしまったりもしました。
そして、創作のためにはどんなことも役立つような気がして、物を集めたり、捨てられないことに拍車がかかり、意識が拡散してしまうことも抑えられませんでした。
鬱症状とADHD的な症状どちらも悪化させる要因となりました。


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