青空に向かって咲くために

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2018年9月25日
から YURI
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自分の輪郭がわからない

会話の内容や趣味など、その時々によって周りに合わせてきたので、本来の自分と合わせて作りだしたキャラクターの区別が曖昧になってきました。
そのため、好きなこと、考えなどをノートに作ってまとめていました。日記もつけていて、できごととそれに伴う自分の感情を記していました。そうしていないと、自分というものが溶けて流れていってしまう気がしていました。
友達にはこう言ったけど、本当の自分の考えはこうなんだとか、誘われて映画を見に行ったけど、本当に見たかった映画はこれで自分の好みはどうなのかとかを、ノートに書いて何度も見て確認していました。
どこからどこまでが自分なのか、よくわからなくなってきていたし、見失わないために必死でした。
感情も遅れてやってくるし、感覚も希薄でした。
自分の輪郭と周囲の世界がぼやけて曖昧になっていくような感じがありました。
自分の体はどこからどこまでで、他人との境界はどこにあるのか、気を付けていないとそれもよくわからなくなりました。
私は幸運にもリストカットは未経験で生きてこられましたが、してしまう人の気持ちはわかる気がします。
理由はいくつかあるでしょうが、この世界に生きている感覚を痛みによって取り戻している部分があるように思います。
生きているか死んでいるかわからなくなる恐怖。生きていること、自分の感覚があるのを確認するために痛みを利用している。
普通の人にはあたりまえすぎて、空気のように意識しないことだと思いますが、その感覚が不確かになるのはとても怖いことでした。


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2018年9月24日
から YURI
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感情が遅れてやってくる

高校生くらいから特に顕著になりましたが、その瞬間の感情が良くわかりませんでした。
みんなとふざけあって笑ったりはしているんですが、楽しいという感覚が2か月後くらいにやってきたりしました。
その場では自分の感情を感じて表現しているのではなくて、このシチュエーションだとこれかな?という表情を選んですることが、無意識で行われていたのではないかと思います。
ふとした瞬間に無表情になっていることがあるらしく、度々友達に指摘されていました。
「本当に楽しんでる?」と聞かれると、ばれてしまった焦りと罪悪感で軽くパニックになりました。
しかし、慌てた感じが顔に出ないんですよね。常に落ち着いた表情。一応笑顔なんだけど、よく見るとひきつっていたり、不自然な感じだったと思います。
おそらく解離症状だったのではと思いますが、リアルタイムに適切な感情を感じられなかったですね。
哀しみも、怒りも、嬉しさも、全て遅れてやってくる。遅れてやってくる感情は時間が経つほど増幅して感じられました。


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2018年9月19日
から YURI
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疲れやすさは極限に

中学に入った頃から疲れやすかったですが、高校3年~大学3年くらいが疲れやすさのピークでした。
高3の頃は起き上がっているのが苦痛なくらいで、何とか学校には行くんですが、帰ってきた瞬間にリビングの絨毯の上で倒れてしまうくらいでした。眠気もありましたが、だるさが半端なかったです。
生きて活動しているだけで頑張っている状態でした。
アルカリ性食品がいいのでは?と思い梅干しを食べてみたり、鉄分が足りなくて貧血気味だからでは?と思い鉄剤を飲んでみたりしました。
挙句の果てには、筋肉量が足りないから疲れるんじゃー、と市営のジムに通ったりしていました。何にも楽しくなくて続かなかったです。
周りの大人には「若いのに何言ってんの?」とか「寝れば疲れ取れるでしょ?」と言われていましたが、全然疲れは取れませんし、若さとか関係ありません。
床にへばりつきながら思いました。違法な薬物とかやってるわけでもないし、飲酒も喫煙もしていないのに、何でこんなに疲れるのだろう。こんなに若くして疲れてるということは、年齢が上がって老いたらどうなってしまうんだろう。
努力依存気味でやらなきゃいけないことはたくさんリストアップされるのに、疲れ果てて何もできないんです。
みんなにバカにされてきたから、大人になった時に凄い人になって見返したいと思うのに、普通の人以下の量しかこなせません。
しかも、疲れやすさだけでなく集中力もないし、輪にかけてやばい状態でした。
先のことを考えると不安になり、最終的には死ぬしかないのではないだろうかという暗い考えがよぎります。
色々な対策で少しづつ楽にはなっていくのですが、30代前半までは疲れやすさは悩みの種でした。
今がかなり良くなってきて、「寝たら疲れが取れる」というのがわかる状態になりました。
一般の人って寝たら疲れが取れるんだ!昔パートのおばさんが言ってたのはこれか!って状態にやっと近づけたのです。
それまでには長い道のりを要します。


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2018年9月17日
から YURI
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努力依存

幼稚園の頃からいじめられたり、バカにされたりしていたので、未来に夢を託すことが多くなっていました。
また、色んな方面で瞬発力がないのか、最初から周りよりできることが無かったので、コツコツ努力を継続して、大人になった時に周りより優れた状態になろうと思いました。
なので、努力することに価値を置くようになっていました。

そして、毎日楽しいことがなかったので、勉強や運動や何か頑張ることによって点数とか賞をもらうこと、他者から褒められることこそが幸せなんだという考えになり、それを目指して生きる傾向が強まりました。

高校生の時、付き合っていた彼氏から振られてしまい、いてもたってもいられなかったので、非の打ちどころがない誰から見ても素敵な女子になることを目指して、更に努力依存に拍車がかかりました。
やることをリスト化して、15分刻みにスケジュールを立て、それをこなしていきました。
本来は集中力がなく疲れやすかったのでやろうと思ってもできないことが多かったのですが、失恋し、復縁を願う異常な精神状態だったのでそれができたんだと思います。
これを全てやり遂げたら彼が戻ってくる、そう自分に言い聞かせました。
結果として、テストは12教科(音楽、保健体育、選択授業含む)で平均91点を取り、選抜クラスで2位の成績になりました。肌の手入れにも気を使っていたので、見た目も綺麗な状態で少しあか抜けた雰囲気になりました。
やることは全てやった、そう思って元彼氏に復縁をもちかけますが、あっさり振られてしまいます。
こんなに頑張ってもダメなんだ・・・・。ひどく落ち込みましたが、自分の人生は続きます。
幸せになる手段として、やはり努力しまくることしか思い浮かばない。
でも、張り詰めていた糸が切れてしまい、やる気も出ないし集中力もない。
頑張らなきゃ、頑張らなきゃ、そう自分に言い聞かせ、時に自分を責め、やることリストを消化します。
今までに比べて、やるべきことに対する達成力は高まりました。でも、リストに書いたことは消すことのみが目的になり、その瞬間を楽しむとか、その瞬間を生きることができませんでした。
ただただ、リストを消化する毎日、予定通りにできない自分を責めながら。
これは大学3年生で限界を迎えるまで続きます。


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2018年9月16日
から YURI
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高校デビュー

高校受験に失敗してしまい、罪の意識にまみれて入学した高校でしたが、どうせ3年間通うなら楽しまなくてはと思い、イロモノキャラになってしまった中学生の時の反省を踏まえて高校デビューの戦略を立てました。

誰よりも早く登校する

一番早く来ていれば、自分が会話の主導権握れるし、色んな人と仲良くなりやすい。
そして、飴とかちょっとしたお菓子を配る笑

自分の呼び名を指定する

変なあだ名をつけられる前に「YURI」って下の名前で呼んでね!等、自分から指定してしまう。
名前によるカースト下落を事前に防ぐ。

話題や持ち物でセルフブランディング

マニアックな趣味とか、オシャレじゃない話題は出さないように気を付ける。
笑いを取ってもよいけど、変顔しまくったり、奇抜になり過ぎたりを防いで、イロモノとして人より下位に位置づけられるのを防ぐ。
高校から夕飯を作ったら500円もらえるという家庭内バイトを始めたので、比較的お金の自由はありました。
洋服は買えませんでしたが、幸い高校生って制服だし、小物類なら何とか買えるものです。
母親は相変わらずですが、夕飯を作りを私がやっているお陰でストレスが軽減したらしく、多少は監視、規制が緩みました。
持ち物を壊され、捨てられる等もなくなりました。

上記に加えて、中学生の頃からやっている、「人を笑わせる」「否定せず、共感する」「相談に乗る」「悪口を言わない」をやっているので、表面的な対人関係の問題も少なく、友達もたくさんできて、リア充っぽい高校生活を送ることに成功しました!
が、本来の自分をさらけ出して獲得した友達ではなく、戦略を重ねて得た友人関係なので、たくさんの人に囲まれていても孤独感が付きまといました。
そして、自己開示ができず、人にあわせて過剰適応してしまうので、自分がどんな人間なのか、どこからどこまで本当の自分がよくわからなくなって混乱しました。
若い頃にしたことは、一つの問題について解決できても、また別のところに問題が発生することが多かったですね。
根本的な解決策ではなかったです。できることも限られているし、経験値も少ないので仕方ないのですけれどもね。


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2018年9月2日
から YURI
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高校受験失敗

親から偏差値64の公立高校に入るように言われていたのですが、直前に偏差値61の高校に変更した上でそこも落ちるという失敗をやってしまいました。

数学の証明問題が難しくて、そこにてこずってるうちに時間を消費してしまい、時間が足りないと思ったら頭が真っ白になり、心臓がバクバクして、冷静さを失ってしまいました。他の問題も過去問より難しいの多くて大パニック。
家に帰って落ちたかも、と母親に言ったら顔めがけて車の鍵が飛んできました。(あれ、発表の日だったかな?)
「期待を裏切りやがってこの野郎!」みたいな感じでしたね。
合格発表の日にやっぱり名前がなくて、掲示板の前で泣き崩れていると、発表を見に来ていた塾の先生から「3年後があるよ!大丈夫、また頑張ろう!」と言われたのですが、落ちたことが悔しくて泣いていたんじゃなくて、親の仕打ちに怯えて泣いていたんですよね。
これからどんな地獄が始まるのだろうかと。受刑者みたいな気分でした。
親のプライドや世間体を傷つけた罪と、私立高校に行ってお金を使わせてしまう罪で終身刑、みたいな。
自分が落ちたことは仕方ないし、周りから対して頭良くないと思われるのはどうでもよかったんですけどね。
親戚の間でもやってしまった子、という感じでした。母方の祖母の田舎では、落ちた高校に合格したことになっていました。
おめでとう!と言われて、入学祝いをもらうことの気まずさといったら、もう・・・・。
親も完全に失望していたみたいでした。
朝、目が覚めた時に父と母が私のことを話していて、
母:「公立高校に落ちて私立に行くなんて、あの子が死んでくれたら楽になれるのに・・・。」
父:「あいつがあんなにバカだとは思わなかった。」
と言っていました。
それまで親からの暴言は浴びていましたが、「死んでほしい」は初めてだったので斬新でショックでした。
父親が咎めないことも。

高校に落ちたことよりも問題は別のところにありました。
受験勉強はしなければいけないとは思いつつも、集中できずになかなか勉強できなかったんです。
まず机に座ることができない。ついフラフラと家中を歩き回ってしまいます。
その間、頭の中では「やばいよ、やばいよー。勉強しなきゃ。机に座らなきゃー。」と思っているのですが、歩き回るのを止められません。
で、何とか机に座っても、勉強に集中できずに指の毛を抜いたり、謎の立方体を書きまくったりしてしまい、勉強できませんでした。
やっとのことで問題集1ページを終えて、疲労困憊みたいな・・・。
そりゃ受からないよね。でも、遊んでたとかとも違うし、高校に落ちた変わりに充実した楽しい思い出が、とかでもないし、得たものは
ありません。
今後のことを考えると、受験に落ちたことよりもよっぽど問題だと思いました。


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2018年8月26日
から YURI
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いじめは娯楽みたいなものだから

夏休みが終わりかけている今、9月からの学校生活を考えると憂鬱になっている人も多い時期ですよね。
とくに、いじめられていたり、カーストが低い人にとっては恐怖でしかありませんよね。

小中学校でいじめを体験してきて、振り返って気づいたことですが、いじめは暇な人の娯楽みたいなものです。

いじめられている側にも原因が、とか、いじめている人の心の闇、とか、そういうことを言われてもいますが、基本は暇つぶしの娯楽なんです。
だから、完全に防ぐことなんてできないし、いじめられた人が自分に原因を求めなくても良いと思います。

大人たちはいじめを防ぐためにはどうしたらいいか、なんて不毛な議題で話し合ったりするのをやめて、大学進学からの新卒で就職以外の道をもっと用意できるように動いてほしいですね。
いじめられたら逃げてもいい、とはいえ、若くして一般的なレールを降りてしまう不安というのはあると思うんです。それにいじめられた側が不利益を被って、いじめていた側の人たちがリア充でコミュ力高い!みたいな感じで元気に楽しく生きているのってなんか不公平ですよね。
これから今以上に色々な働き方が登場し、学校に行ってなくても、人付き合いが苦手でもできる仕事が増えていくような気がしてはいます。
今、学生でいじめにあっている方々は先のことを考えすぎずに、思いつめずにいてほしいなって思います。
自殺なんかもっての他ですよ!だって、いじめは娯楽みたいなものなんだから。そんなもののために命を捨ててはいけません。


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2018年8月16日
から YURI
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中学校3年間を生き抜くためにやったこと

今までの人生を振り返ると、中学生の3年間が一番ハードだったと思います。
大学生の時に自殺未遂したこととか、ブラック企業で体調を崩したり、アトピーが悪化して関節も動かせなくなったことなど、大変な時はたくさんありましたが、中学の時ほど選択肢がなく四面楚歌状態だったことはありません。

家庭では母親の暴言、暴力、過干渉(部屋の捜査や監視など)の頻度、強度が上がり、学校ではスクールカーストのほぼ底辺に落ちてしまって、どこに行っても地獄でした。

中学生が大変なのは、家と学校という狭い世界しかないので、その2つが終わっていると人生詰むところです。
よく大人は、「人のことは気にするな」とか「人は他人の細かいことなんて見てないよ」とか言いますが、中学生に至っては違います。
ジャージの数cmの長さの違いで、カーストが低下してしまいますし、皆が見ているテレビ(今の時代だとゲームアプリとかも)を知らないだけで非人間扱いです。
学校が嫌でも辞めることはできないし、流行りの服や持ち物を自分のお金で買うこともできません。
それに比べると、大人もたくさん大変なことはありますが、働く場所やお金の使い方など自分で選べることも増えるので、不幸な環境から抜け出す可能性はあがります。

私が中学生時代をサバイバルするために行ったのが以下の方法です。

おもしろいキャラになる

人に嫌われないためにはどうしたらいいかを必死で考え抜きました。辿り着いた答えは「快」の刺激を与える人間を人は嫌わないのではということでした。
あと、笑っている瞬間って人間は思考できないことが多いです。笑わせていれば、自分のことを嫌ったり悪く考えることができないのではと思いました。
人を笑わせる方法については、当時人気のあったHEY!HEY!HEY!という番組のダウンタウンの二人の掛け合いや切り返しを参考にしました。あまり自由にテレビを見られないので、その番組だけはビデオ(時代を感じる!)に録って親のいない間に見ていました。

相手の味方になる

相談に乗ってあげたり、その人にとってベストな対応を取ります。対個人向けの対策です。
これも相手に利益をもたらす人間を人は嫌わないのでは、という仮説に基づいています。
とにかく話を聞く、否定しない、ということがポイントです。

悪口を言わない

これがとっても重要です。
人を笑わせたり、人の相談や愚痴を聞いてる時に悪口に発展するということはよくあります。
本当にこれが落とし穴で、その時は相手も悪口を言ってるのに、後になって本人に告げ口したり嵌められたりすることがあったんです。
なので悪口は言わない。愚痴られてる時は、「そんなことがあったんだ~。それは嫌だよね~。」程度の共感にとどめたり、同意を求められたりした時は「私は何かされたことがあるわけじゃないから何とも思ってないけど、○○ちゃんがされたことはひどいよね。」とか言って切り抜けていました。今振り返るととてもめんどくさいですね。でも、当時は生きるために必死だったんですよね。

メリット

・コミュ力がつく
表面取り繕っただけの偽のコミュ力な気がしますが、どんなタイプの人とでもそれなりに会話したり、浅く関わることができるようになります。この力は行動範囲を広めたり、仕事で人と関わる時に役に立ちました。

・観察力、洞察力が身に着く
常に人の顔色を窺い、相手が喜ぶことや嫌がることに気を配っているので、観察力や洞察力が身に付きます。これも営業関係の仕事で約に立ちましたね、あと人に嫌われることは減りました。

・いじめが続かず、なんとか中学を無事卒業できた
スクールカーストが下がりまくった時期が3回ほどありましたが、長期に渡らず、カースト固定を避けられました。中学生活はストレスがたまることが多く、安らぎはありませんでしたが、部活やイベントの参加など多少は楽しめたと思います。

デメリット

・自分の感情は常に後回し
人に嫌われないことが大前提で、人のことばかり気にしているので、当然自分のことは後回しになります。自分が何をしたいのか、どういう人間なのか次第にわからなくなってきました。

・自己開示できない
自分の好きなこと、自分がやりたいことを人に言えなくなりました。常に相手に合わせて、偽のキャラクターを演じてしまいます。なので、本当の意味で仲良くなれた人は少ないです。

・モテない
人を笑わようとして、やりすぎました。写真はいつも変顔だし、笑いを取ろうとする言動が目立った変わったキャラになってしまいました。全然モテずに、イロモノキャラだったと思います。恋愛面の青春は犠牲にしましたが、ひとまず生き延びられたのでよしとします。

今思えば、もっと良いやり方はあったと思います。でもそれを知っていたとしても、中学生という環境に置かれた自分にそれができたかはわかりません。
問題もあった方法ですが、一番きつい時期を何とか生き延びられました。あの頃の自分に、ありがとう&お疲れ様を言いたいですね。


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2018年7月25日
から YURI
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体が歪み始める

小学5年くらいから体の左側に筋肉が多くつくようになりました。
モアレ検査で引っかかったのですが、骨には異常がなくて特に問題視されませんでした。

中学生になるとひどい肩こりに悩まされました。
これは32歳になって整体を受けるまで続きます。

また、後で発覚したことですが、ストレスが凄くて無意識に左側の歯を食いしばっていて、それにより歯が欠けてしまっていたんです。
ストッパーの役割をする部分が欠けて、更に食いしばりが酷くなっていたようでした。
歯医者さんに診てもらうと、ストレスの強い人特有の口内環境みたいです(笑)
そのせいで大学生の頃は顔もかなり歪んでいました。

トラウマがある人は体の左側に問題が出るという話も聞きました。
これはまだ完全に治っておらず、今でもかなり左に偏った体の使い方をしているんですよね。
体に蓄積されたトラウマが取れないと治らないのかもしれません。


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2018年7月22日
から YURI
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持ち物チェック

小学2年生の時に父親からおまじないの本を買ってもらいました。
恋のおまじないとかが載っていて、何だか母親に見られてはいけないようなものに思えました。
母親が部屋に急に入ってきた時に、その本を隠したのですが、「親に見せられないものを見てるのか!」と言われ激しく怒られました。
それから母親が部屋の中をチェックするようになりました。

小学3年生の時から日記をつけ始めたので、それももちろん盗み読みされていました。
友達の手紙とかも全て。
私がすることで母親が気に入るものなんて殆ど無いので、基本的に怒りを買うものばかりになります。
不在時には部屋を捜索されているので、外出中は気持ちが落ち着きませんでした。

母親の気分を害すものが見つかった場合は、直接怒られるか、黙って捨てられます。
こっそりチェックされているのではなく、割と堂々と当然のように行われていました。
怒られなくても、「日記にあんなこと書いてバカじゃないの?」とか蔑まれることも多かったですね。
家に帰って、部屋を見られた後があると、怒りが湧いてきて、疲労を感じました。
大切にしていたものが壊され、部屋が荒らされているのをみると虚脱感がありました。
きっと戦争で敵に攻め入られて、自分の家や村が焼き払われた人とかってこんな気持ちなんだろうなと思いました。

手紙や日記の検閲と部屋の捜査は、心の底にこびりつくような怒りの感覚と恥の感覚を私に植え付けました。


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