青空に向かって咲くために

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2019年3月24日
から YURI
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ディズニーランドで絶望した話

23歳の時、年下の友達とディズニーランドに行きました。
あっちも年上だからとこちらを立ててはくれるんですけど、次はどこに行こうか相談すると、ここは嫌とかここに行きたいとか割とはっきり希望を言ってきました。

自分も行きたいとこ主張したり、交代で乗りたいものに乗ったりとかすればいいんですけど、言われると「はいそうですか」とそのまま受け入れてしまうんですね。

で、その後から絶望感が湧いてくる(笑)

「どうせ自分のわがままなんて叶えられない」
「自分は幸せになれない」
といった投げやりな考えが浮かんできます。

年下の友達だったからというわけでもなく、同年代の友達でも、年上に対しても基本的に同じです。
相手が希望をはっきり言ってくると、ちょっと嫌だなと思っても受け入れてしまいます。
そして、自分は永遠に我慢し続ける存在なのだ、という思いに包まれて絶望していました。

これは子供の頃にお姉ちゃんなんだからと下の兄弟に譲らされて我慢させられたことや、親がわがまま言ってキレたので親の希望を優先させたことなどが発端となっていました。その後に構築した人間関係も同じようになります。常に相手に譲ってしまう。

我慢する時は、自分の方が相手より精神的に大人なのだと言い聞かせました。なので、相手を見下すような傲慢さもあったかとは思います。
相手のために我慢してあげたのだから、いずれ私に感謝したり、尊敬してくれるだろう、とかも思っていたのですが、全くそんなことはありませんでした。
どちらかというと格下の奴隷扱いです。同等な人間とはみなされなくなっていきました。


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2019年3月23日
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頑張りたいのに頑張れない

社会人生活は予想以上に困難をきたしましたが、何とか対策をたてて乗り越えようとしていました。
でも、頑張ろうと思っても頑張れないのです。

自分が決めたことなのに、すぐ疲れるし、やる気が出ないし、体も思うように動かない。
考えようとしても、何かゴチャゴチャした塊みたいなものが思考を邪魔する設定を作っている。

頑張りたいと思っているはずなのに「前向き」「努力」といったキーワードに拒否反応が出ていました。
人から「頑張れ!」と応援されても、それがすごく負担になり焦らされているように感じました。

こっちは機能不全家庭で育って心の傷があったり、ADHDというハンデ背負って生きてるのに「頑張れ!」だなんて!
まだ頑張らないといけないの?既に頑張ってきたのに。
と、いう思い強くなりました。

でも、過去の努力依存の時のように、辛さから抜けるためには対策をたてて、それをやらなければいけない、と考えてしまい、結局「頑張ろう」という結論になってしまうのでした。

そして、「頑張りたいのに、頑張れない」というループです。23歳から26歳まではずっとこんな感じでもがいていました。


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2019年3月10日
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会社で困ったこと

AC(アダルトチルドレン)でADHD疑いのある人間が新社会人としてデビューしたわけですけれども、やはり普通の人に比べて困ったことがたくさんありました。

冗談が通用しない

全て真に受けてしまいます。そして、相手の状況や気持ちを考えて何て返すことがベストなのか?傷つけてしまわないか?など考えてしまうので、とっさに上手く切り返せなくなります。幼少の頃からこの傾向があったんですが、たゆまぬ努力によって克服したかと思っていたんですよね。でも、それは同年代の相手限定で、年代が異なったり、既婚者子持ちとか、上司先輩とか、相手の状況が把握できないと無理でした。なんか笑いのポイントも違うし・・・・。どうしていいのかわからなかったですね。周りからは頭悪いんじゃないかと思われていたと思います。一気にコミュ障時代に逆戻りです。

新入社員らしさが出せない

これもACの特徴だと思うのですが、とにかく真面目に仕事をしないと、周りの役に立たないとという強迫観念が強いです。役に立たないと存在してはいけないとどこかで思っていますからね。「できない」とか「知らない」とか言ってはいけないと思っているので、できる限り事前に勉強してミスをなくそうとしますので、新入社員らしさがなく、可愛がられませんでした。始めての状況に出くわして、心の中は焦っているのに、それが顔に出ず落ち着いた感じなので(今思えば解離してたのかも)先輩も助けに来てくれませんでした。

じっと座ってられない

多動傾向があるので、座り続けることができません。入社当時は内勤だったので、頻繁にトイレに行っていました。入力をひたすらやる業務なんて地獄でした。刺激がなく同じことを繰り返すような日々も辛かったですね。電話対応とか営業は問題なかったです。

すぐに疲れる

元々疲れやすかったのに加え、毎日遅くまで仕事で気を使いまくっていますから、疲れは溜まるばかりで常にため息をついていました。
同期も私と同じかそれ以上に忙しいはずなのに、休日は元気に遊んでいたりしました。
私は土日は寝込んでいる状態で、仕事だけで精一杯でした。社会人になってからはアモキサンの代わりにセントジョーンズワートのハーブのカプセルを飲んでいました。

集中できない

生まれつき集中できない人間が社会人になったからって集中できるわけないですよね。同じ作業を続けてやったり、調べものとか文書作成とか異常に時間がかかっていました。

やらなきゃいけないとわかっているのにできない

なかなか行動に移すことができなかったです。始めるのにも、継続するにもエネルギーが必要という感じですね。途中でエネルギーが切れちゃうと、集中できないモードになりダラダラ。そもそも疲れが溜まっていてエネルギーレベルが低いですし、最悪でした。
仕事をしていて、わからなくて困るということはそこまで無かったです。やり方とか解決方法は比較的すぐに思いつくし、飲み込みも早い方だったので。でも行動に移すことができないんですよね。始めたとしても、終わらせるまでに時間がかかったり、途中で燃え尽きてしまったりでした。

文書、企画書が作れない

言葉で説明したり、文章を書いたりするのは苦にならないのですが、企画書とかグラフや図を挿入した文書を作成することがとにかく苦手でした。どうしていいのかわからない。考えようとするんですが、脳がシャットダウンされてそれ以上進まないような状態になってしまうんです。これは今でももの凄く苦手ですね。文章、もしくはただの箇条書きみたいな簡素なものしか作れないです。
しかし、文書、企画書が作れないというのはホワイトカラーには致命的ですよね・・・。

整理整頓ができない

これも生まれた時からできたことないので、当然できません。物が少ないうちは良いのですが、書類や資料が溜まってくるともうどうしていいのかわかりません。机の中は書類が地層のように重なっている状態でした。
「あの書類ある?」と言われてもすぐに出せません。地層を掘り起こさなければいけないので時間がかかります。仕事のできない社員確定です。

早口で怒られる

自分では自覚がなかったのですが、早口らしいです。それでよく上司に怒られていました。思考は電光石火で脳内をかけ巡っているので、言葉にすると遅いくらいなのですが、他人が聞くと早過ぎて気になるようでした。それに、結論が早く見えてしまって、余計な言葉を使いたくなかったので、どうしても断定的な物言いになってしまい「生意気だ!」とよく怒られていました。
早口であることに対して、恥と罪悪感を感じていましたし、自分の意見を言うと生意気と言われるので、わかっていても言わなかったり、わざと頭の回転が遅い雰囲気を出すように努力していました。

文字が汚くなる

小学生の頃から字が汚くてコンプレックスでした。習字を習っていて、硬筆、毛筆ともにお手本を見ながらだと上手く書けるんですが、日常で書類を書いたり、するととんでもなく汚くなってしまいます。習字は有段者で賞をもらったこととかもあるんですが、不思議ですよね。通信教育で美文字を書く講座とかも取っていたんですが、意識しないときれいな字になりませんでした。
就職してからは、疲れ、ストレス、緊張感の悪影響で更に文字は汚くなっていました。自分で見ても引いてしまうレベルでしたし、男性の先輩からは「女が書いたと思えないような汚い字」と言われていました。

時間の管理ができない

ADHDあるあるですが、時間の管理が苦手で遅刻の常習犯でした。最初に就職した会社は先輩が厳しすぎて、新入社員は朝礼の30分前に出社ということで出社自体は遅れることはありませんでしたが、お客さんとのアポの時間とか、先輩と駅で待ち合わせする時間とか5分くらい遅れることが多かったです。
そもそも時間の概念があまりなく、どのくらいかかるものなのかよくわかりません。逆算して計画を立てたり、電車やバスの時間を調べていくんですが、それでも遅れます。
計画を立てたところで、それ通りに進まないですしね。いつも謝ったり、言い訳したりで罪悪感でいっぱいでした。そして、なぜか怒りの感情が湧いてきました。

帰ってからすぐに寝れない

営業をやっていた時は毎日終電で帰っていて、帰ったらすぐに寝たいんですけど、疲れていればいるほど寝れませんでした。夕食を食べて、お風呂に入って、など寝る前にやることが、疲れているあまりできないんです。ダラダラ時間をかけて、結局寝るのは夜中の3時くらいになってしまいます。6時に起きていたので、平日の睡眠時間は3時間くらいでした。

ごはんが食べ終わらない

就職してから食事を取るのが困難になりました。気が散って食べ続けることができずに、途中で部屋の中をうろうろ歩いてしまいます。
外食している時は問題ないのですが、家で夕食を取る時だけ問題が生じました。これは今でも困っています。
食べ終わるまで3時間かかってしまうことがあります。その時間は牢獄に閉じ込められているような感覚です。

朝起きれない

一人暮らしを始めてから、朝起きれず遅刻をしたり、出社時間を過ぎてから覚醒して、会社に言い訳まみれの電話をするようになりました。
これだけで社会人生命が終わります。朝起きれなければ、会社に勤めることはできないんです。
本当に人間として終わっている感覚がありました。

そんなこんなで会社で働くことは困難を極めました。
疲労とストレスが許容値を超えたのか、就職して3カ月経つ頃にはアトピーが劇悪化して化粧もできないような状態になってしまいました。

ここから、私のアトピーと精神の治療が始まります。


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2019年2月23日
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軸がグラグラする

就職なんてできなくて、負け組になってホームレスになるかもとか、死ぬしかないのかもとか、大袈裟に悩み始まった就職活動でしたが、希望する業界のそこそこ名の通った企業の内定を得ることができました。
その会社は入社してから約1カ月間、新入社員全員で施設に泊まり込みで研修がありました。

同期入社の子たちは、キャラが立っていたり、華やかだったり、目立つ経歴などがある人たちが多かったです。
圧倒的に自分よりイケている感じがしました。
なので、なんか焦燥感を掻き立てられるというか、爪痕を残さなければ・・・!という思いが強くなっていきました。

優秀だと思われたい、個性があると認められたい、手応えがないと不安でした。

鬱から復活した時に、人と比べず、何も目指さず、自分が楽しいと思うことをやって生きていこうと思ったのに、価値のある人間でありたいとか、他の人よりも優れていたいと思うようになってしまいました。

研修が終わった後、誰かの部屋に数人で集まって飲みながら話すことが多かったのですが、そこでも面白いネタや変わった体験を話したり、自分の趣味とかやりたいこととか、いちいち披露していました。

同期の悩みを聞いたりもしていて、なんか良いこと言おうとしていました。
皆は凄いとか褒めてくれるんですが、部屋に帰って一人になると、不安が襲ってきました。

これで良いのだろうか。別に悪いわけではないはずなのに、なぜ不安や絶望感や虚しさが湧き上がってくるんだろう。
皆には個性的な人とか、面白い人とか思われているかもしれないけれど、なぜか孤独感だけが強まってしまいます。
特に発言しなくても、ただそこにいるだけでも好かれて大切にされる人がいるけれど、自分はそうではない。
何もしないと不安、でも何かすると異質な存在になってしまい結局孤独感に包まれて精神的には不安定になる。

一体どうしたらいいんだろう。何がこんなに辛いんだろう。
一人、宿泊施設の部屋で泣きました。

自分の考えはあると思います。軸と言われるものも。でもその軸が前後左右にグラグラ揺れる。
その不安定な感じ、落ち着かない感じ。そこからは逃れられない。

鬱の時のように死にたいとは決して思いませんでしたが、この原因不明の不安は何とかしないといけないと思いました。
時間が経てば自然に消えていくとは思えない。でもどうしたらいいのかはよくわかりませんでした。

とにかく、これから社会人の人生が始まるのだから頑張らなければ。
また、頑張って対処するという方法に戻っていました。


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2019年2月19日
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京都の霊

京都の研修旅行では三条烏丸の宿に泊まりました。
実はこの宿・・・出たんです。

12歳頃から霊の気配を感じたり、夜中に金縛りにあうことが増えていました。
この京都の宿に宿泊した時も夜金縛りにあい、自分の隣に青い着物を着て袴を履いた侍が立っていました。
金縛りにあって霊が近くに来る時って、いつも顔だけが見えないんです。顔の辺りだけ真っ暗になっている状態ですね。
この時も同様に顔だけ見えませんでした。

金縛りからの霊が枕元に~、ってのはよくあることなんで、あまり気にしていなかったんですが、翌朝、友達が青い着物の霊について話しているのを耳にしました。他の階に泊まった人たちも数人見たそうで、話を聞くと特徴などが一致する・・・。

本当に霊がいるんだ・・・。そう思うと急に怖くなってきました。
みんなで霊の話をして怖がっていると、窓ガラスを「バンバン!」と叩く音がしました。
悲鳴を上げて、あの霊が来てる!ってみんなで怯えると、何度も「バンバン」と叩く音がします。
風も吹いてないし、叩かれている窓は上の方の屋根なので明らかに不自然です。

恐怖がクライマックスになったところで、なんと霊が部屋の中に入ってきて、私たちの周りを数歩歩いて消えました。
姿は見えなかったのですが、気配だけ感じました。
今まで金縛りとうっすら枕元に立つ姿を見たことがあるくらいだったので、人生至上最大の恐怖体験です。

別の部屋の子がやってきたので、霊が入ってきたことを伝えると、
「ああ、あの侍の霊ね!うちの部屋にも来たよ!追い返したけど。」と除霊師みたいな回答をされました。
姿ははっきり見えてるし、もう慣れているそうです。

美術系の学部だったためか、霊感が強い子が多く、旅行に参加した半分くらいの人は見えているようです。
見えるなんて怖すぎる。その影響を受けているのか、自分の霊感も普段より上がっているような気がするし、もう怖くてたまりません。
一人で廊下を歩くのも無理になってきました。

怖くて怖くて、どうしていいかわからずオロオロしていると、霊がはっきり見えるという子に叱られました。
「死んだ人なんてそこら中にいるんだよ!見える人が怖がってると、見えない人はもっと怖いんだから!我慢しなきゃダメだよ。」
その子も昔から見えていて、怖いけど耐えて慣れたそうです。

そして、旅行最終日の朝、朝食会場に一人残ってダラダラ食べていると、例の霊が隣にやってきました。
その時は姿は見えず、線香花火が火花を散らすような「パシッ、パシッ」という音だけがしていました。
ああ、霊って電気なんだな。と静かに思いました。
恐怖もあったのですが、心の中で
「私は何も力になれないけど、ここにいたいならいればいいよ。」と語りかけました。
火花のような音が小さくなり穏やかな感じになりました。
微量の恐怖と緊張をベースに凪いでいるような不思議な時間が流れました。

今回の件は何とか乗り越えたように感じたけれど、今後のことを考えると不安になりました。
年々霊感強くなっているような気がするので、いずれは見えることが普通になるのかもしれません。
見えるだけで何もできないのに、霊が助けを求めてきたら?
邪悪な霊がやってきて、じゃんじゃん憑りついてきたら?
対抗策も講じなければいけないし、新たに身につけなければいけない能力もあるかもしれないし。
スピリチュアルカウンセラーとか、霊能力がある人に相談したいなと思いました。
すぐには行動に移しませんでしたが、この京都の研修旅行での心霊体験が、4年後のチャネリングに繋がることになるのです。


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2019年2月10日
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京都でお金を使う

大学3年生の春休みに古美術の授業で京都・奈良の研修旅行がありました。
その旅行に参加し、別のクラスの子と知り合い一緒に行動することになりました。

その中に、おしゃれで派手で可愛くて金遣いの荒い二人組がいました。
歯科助手のバイトをしているそうで、月に15万くらい自由になるお金があるそうです。

その頃私は週に2回お弁当工場で働いていて、月に入るお金は5万弱。
これは鬱が明けてから始めたバイトで、それまではバイトしていなかったので、自分的には5万円バイト代が入るってすごく大きくて、
洋服とか買えるようになったと喜んでいたんです。
なのに、同じ大学生でバイト代15万て・・・。

すぐにタクシー乗っちゃうし、食べたいものとか躊躇なく買うんですよ。
宿の近くのバーにちょっとカクテル飲みに行って、1杯で1800円とか。一緒にいるとどんどんお金が無くなっていく・・・・!

で、旅行中に一緒に行動しているグループ内で誕生日を迎える子がいて、その金遣いの荒い二人組がプレゼントを買おうと提案したのです。
「一人1000円出して!」(あれ2000円だったかな?)と言われた時、旅行参加前はその子の友達ではなかったA子ちゃんが、その金額はちょっと・・・と出し渋ったのです。
まあ、最近知り合ったばかりの友達にそんな金額出すのはと躊躇う気持ちもわかります。
そうしたら金遣いの荒い子が、
「5000円くらいで何が買えるっていうの!ろくなもんプレゼントできないじゃん!」と言い放ちました。
5000円くらい!?えええええ!5000円もあったら色々買えるよ!3000円でもそこそこ良いものが買えるのに!
お金に対する価値観が全然違うんですね。そして、自分を押し通せる強さといったらもう!私にないとこばっかりで尊敬できるレベルです。

結局、言われた額を徴収され、プレゼントすることになりました。
もらった子もありがとーみたいに軽い感じで受け取っていました。

この旅行では予想以上にお金を使ってしまったんですが、でもとっても楽しかったんです。
お金をじゃんじゃん使ってやりたいことをやるってこんなに楽しいんだ!
溜まっていた毒素がお金と一緒に流れていったような気がしました。

それまで私はお金を使うことに罪悪感を持っていて、500円のラーメンを食べるのに理由つけて自分を正当化したりしていました。
楽しいから、欲しいからという単純な理由でお金を使ってはいけないのではないだろうか、将来的に役立つものとか、必要度が高く長く使えるものではないといけないのでは、と買い物するのにいちいち考え抜いていました。

これが鬱の原因の一つだったと思うのですよね。
今のお金じゃなくて、将来的なことも併せて考えちゃうし、結果的に我慢することの方が多くなる。

で、なぜこんなにもお金を使うことに罪悪感があるかっていうと、私が生まれたせいでお金がかかっていると親からよく言われていて、生きるコストを親に負担させていることに罪悪感を入れられていたんですよね。
で、お金のかかることは我慢するようになる。お金を使ってしまう!という恐怖感があるから。

そういえば、京都の旅行でプレゼントをもらった子は「お金がなくなったらお母さんにもらおうよ!」と無邪気に言ってしまうような子でした。それも聞いた時衝撃だったんですよね。
お母さんに!お金を!もらう!?みたいな。
遊ぶお金なのに?勉強とか、最低限度の生活(文化的は含まれません)を送るのに必要なものでもないのに?
それは言うだけでもらえるの?借用書とか誓約書(このお金をもらった限りはテストで90点以上を取ります的な)とかの書類は要らないの?
前々からやばい環境だったと思ってはいましたが、今こうやって文章にするととんでもないところで育ったんだなと思います。

「お金」って病の根っこの部分、発作や支配にすごく関係していると思います。

「お金」については、今もまだ克服中の部分がありますね。


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2019年2月2日
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ポストイットで頭の中をまとめる

約4カ月半の鬱病経験を経て、有名になりたいとか、特別になりたいとかそういう願望と決別できたので、やらなければいけないと思うことが減りました。
しかし、この時は私は大学三年生。まだまだ自由になる時間はたくさんありました。

やりたいことを思い浮かべると、色んな物事が頭の中に大量に湧いてきます。本屋さんに行くと、色んなカテゴリーの書籍や雑誌が目について何を選んでいいのかわからなくなります。選んだ雑誌も、どこから読んでいったらいいのか、文字や写真、イラストなど何を見ていいのか非常に混乱しました。

時間ばかり過ぎていって、結果的に何もできていないし、知識も大して積みあがらないといったことが多かったです。

紙にやることを書き出して、優先順位をつけてリストを作るというのは高校生の時からやっていました。
ただ これって、試験とか提出物とかMUSTな事項に対しては有効なんですけど、期限はないけど興味があることに対しては緩い設定のリストしか作れず、結局何からやるべきかよくわからなくなっていました。

そこで、ポストイットに一つ一つ書き出してみました。「英語を勉強する」「台湾旅行に行きたい」「日本の焼き物について調べたい」「SPI(就活の準備)」など、やらなければならないことや、ただ興味があってやりたいことなど、その時点では分けないで、とにかく思いつく限り、一つずつ書き出していきます。

書いている途中で「ポストイットの無駄づかい!」とか「こんなことしても意味ない」とか色々邪魔する思考が湧いてきますが、無視して続けます。

書き終えると、ポストイットを分類します。「将来のためにやっておいた方がよいこと(仕事関連)」「興味があること」「得意なこと(リターンが大きい)」「学生時代にしかできなそうなこと」などなど。
ポストイットだと書いた後で動かせるから便利!

その中で今すぐやらなくても良いことや、その中では興味の度合が弱いものなどを省いていって、研ぎ澄まされたやりたいことの分布図ができあがりました!
ごちゃごちゃだった頭の中がスッキリして、よくわかるようになりました。ああ、こんな方法があったんだ!と新しい世界を見れたような気がしました。

その中で、特に重要事項を選んでいって、具体的に取る行動、「台湾に行きたい」→「台湾のツアーを調べる」「ガイドブックを買う」「友達に声をかける」「予定を調整する」など細分化していきます。

これで、やりたいことをどんどんやれるようになった!と思うでしょ?甘いですよ。一般の人と同じではないのですから。
「わかっているのにできない」「やろうとしても動けない」など別の問題がどんどん浮上していきます。


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2019年1月26日
から YURI
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怒りが止まらない

アモキサンが効いて、フランス旅行に行き、人生を楽しく生きることができるようになった後、何だかイライラすることが増えていきました。
この時は確かアモキサンのカプセルを1日1錠~2錠くらいしか飲んでいなかったのですが、脳が興奮気味になっていたのかもしれません。
精神科の先生からは、元気になった反動で、また気分が沈むといけないからと注意を受けていましたが(いわゆる躁鬱ですね)、怒りが湧いてくることが多くなりました。
毒親やADHDという障害を知ったことにより、自分だけに原因があるわけではないし、こんな風に育てた親への怒りが湧いてきたのが一番大きいと思うんですよね。
何か言われたりすると、過去にあったことを思い出し、怒りがこみ上げてきて抑えるのが難しくなっていました。

ある朝のことでした。
私は朝起きるのが苦手で、目覚ましが何度か鳴らないと気づかないのですが、母親は神経過敏なので、目覚まし1コールでぶち切れて叩き起こされるというのが毎朝の日課になっていました。
朝ちゃんと起きれない自分はなんてダメ人間なんだろうと思っていましたが、実は睡眠障害と覚醒異常があるんですよね。これは比較的最近分かったことで、軽くはなってますが、まだあります。
で、その日も通常通り怒鳴られながら叩き起こされたんですが、急に怒りがこみ上げてきてしまったんですよね。
なんで朝から罵倒されて起こされなきゃいけないんだと、それで何を言ったのかは忘れましたが、うるさい!怒鳴りつけて起こして!みたいな内容だったと思うんですが、そういったことを叫んだ後、天井の蛍光灯カバーをバンバン叩いたんですよね。(2段ベッドの上で寝ていて、天井が近かったんです)
そうしたら、「そんな暴言吐くなんて!キチガイの薬を飲んでるからだ!キチガイの病院なんか行きやがって!」と喚き散らされました。
家族には精神科に行ってることは話していませんでしたが、日々家宅捜索されて部屋を調べられまくってるんでバレてるとは思ってたんです。薬の袋とかあるし。毒親由来の鬱を治すために自分で頑張って病院に通っているのに・・・。仮に気が違ってるとしても、薬飲んでるならいいじゃないかと思いますけど、まあ毒になるナントカですからね。
このことを弟に言いつけたらしく、弟は家で私とすれ違う度に「キチガイ・・・!」と呟くようになりました。(素敵な家族ですね!)

他にも、テレビを見ている時に頭の上から新聞が何部も降ってきた時も(私が取っていた日経が溜まってきてムカついたらしい)、キレて言い返してしまったり、もう止めることができませんでした。
子供の頃から理不尽な仕打ちに耐えてきて、怒りも悲しみもその時我慢すれば消えてなくなると思っていましたが、全て自分の中に残っていて破裂しそうになっていました。
これを何とかしないとやばいなと思うようにはなりましたが、この時点ではどうすればいいのかわかりませんでした。


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2019年1月20日
から YURI
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自殺と縁がない人との埋められない溝

自殺未遂の経験から、一般の人が自殺志願者の人に抱くイメージとか、アドバイスする内容に埋められない溝があるような気がしたので、それについて書きたいと思います。

死ぬ勇気があれば何でもできる!

勇気とはまた違うんですよね。心が健康な人にとっては、死ぬ気でやればなんでもできるんだからそのエネルギーを他のことにぶつければ、と思うんでしょうけど、エネルギーがほぼゼロになってしまって、死ぬことくらいしか選択肢に上がらなくなっちゃったんですよね。
「死にたい」という状況になる前には、できる限りのことをしている人が多いんですよ。それで頑張っても解決しなかったり、挫折を繰り返したりして、気力も何もなくなるという感じでしょうか。鬱の人に頑張れと言ってはいけないと同じで、既に頑張っているんですよね。

生きていればきっと良いことがあるよ!

こういう論調で優しい雰囲気で語りかけるポスターとか多いですよね。空を見て、とか、やりたいことを思い出してとか。
そういう状況ではもう無いんですよ。楽しいことがないから死ぬとかって、そんなことで自殺している人はいないと思います。
言葉では「もう生きてても楽しいことないしー」とか言う人もいるかもしれませんけど、その言葉の背後にはメンタルの病やトラウマが潜んでいますので、言葉通りに受け取っちゃダメです。思春期の一時的に死にたい気分になっている人には励ましとか、話を聞いて構ってあげるとかも有効ですが、ガチの人はそうではありません。
「死にたい」という欲望、願望っぽい言葉が誤解と批判を招いている気がします。「死にたい」ではなく、正しくは「死ぬことが最上の選択肢になってしまった」ということです。

自分だけ楽になろうとして迷惑かけやがって

人身事故で電車が遅延したり、人通りの多いところで飛び降り自殺とかあるTwitterとかでこの類の言葉が飛び交っていますね。
叩く標的を探し回っている人がたくさんいるこんな世界で弱者になってしまったら、助けを求めることなんてできずに死を選んでしまう人も多くなるでしょうね。
日本の自殺者は年間3万人弱(自殺と認定されてない変死扱いの人をいれると更に増えるという説もあり)すごい数ですよね。楽になろうとしてって、生きているとそんなに苦しみだらけなんですね。殺人でも死刑にならないケースだってあるのに、自ら死を選んでしまうんですよ。実際自分も有名な犯罪者と自分をどちらが罪深いが比べていたりしましたしね。
この「迷惑」というのがポイントで、自殺してしまう人たちは生前迷惑をかけることが苦手だったり、罪悪感を持ちやすい人だったのではないかと思います。生きている時も損な役割を押し付けられ、会社や学校や家庭でいじめにあったりして、死んでからも迷惑かけてと叩かれるという何とも悲しいことですよね。
むしろ、迷惑をかけている自覚やためらいがなく、恥や罪の意識を感じない方が自殺とは縁遠くなると思いますね。自殺者を減らすには、どんどん迷惑かけちゃいましょ!責任とかメンツとかどうでもいいじゃないですか!恥も罪も関係ない!って考えを広めた方が効果があるんじゃないかとも思います。

樹海に行け!という思考停止

自殺のトピックがあがると、必ず樹海出てきますよね。なんか決まりでもあるんですか?自殺!→樹海!って掛け合わないといけないとか。
樹海!って叫ばないと次は自分が自殺してしまうとか。
私も親に樹海に行けと言われましたけど、皆さん樹海に期待し過ぎです。樹海に年間3万人近くの人を受け入れるだけのキャパないですよ。
それに、そんな状況の人にとってわざわざ樹海まで行くのも大変だし、道具を用意するのも大変ですよね。道具どこで買うの?え、ホームセンター行くの?みたいな。樹海と言い放っておしまいの人は、そもそも自殺するような人とは同じ世界に生きていないんですよ。だってそれじゃ何も解決しないから。自殺なんか考える奴らは樹海に行かせればいいんだ、というね。昔、ホームレスについて「全員無人島に連れていって自給自足したらいい!あいつらは社会を捨てたんだから。働きたくない怠け者なんだから。」と言い放って拍手喝采されている人を見たことがあるけど、これも樹海の人と同じなんだと思います。社会から捨てられたのかもしれないでしょ。同じ世界に生きてないくせに、同じ能力や立場があると考えちゃうんですかね。

自分が思う自殺防止策

自殺を考える人はほぼ鬱状態です。鬱になっている場合は薬が一時的には効きますが、その原因が取り除かれないとリバウンドします。
大体、お金、病気、家庭環境、トラウマ、発達障害のどれかが原因になっています。
経済が良くなって、給与の良い仕事が簡単に見つかるようになったり、老後の不安が軽減されれば自殺者の総数は減るはずです。
病気を苦にして命を絶つ人もいるので、新しい治療法が確立されたり、治らないにしても生きている間の心身の苦痛を和らげる方法があれば(そして治療費などお金の心配がなければ)死を選ぶ人は減るでしょうね。
一般の人たちからのアドバイスって、当事者にとっては難易度が高いことがあります。例えば、「仕事なんて、そんなに頑張らなくても、とりあえず出勤していればいいんじゃない?」というアドバイスでも、発達障害があって遅刻をしがちだったり、みんなと同じペースで仕事がこなせないとかもありますし、睡眠障害があって朝起きられないだけでも普通の仕事に継続して就けないことがあります。
それには原因があって、対処法があるケースもあるんですが、多くの人は自分はダメだとか、もっと頑張らなければと責めて、最終的には絶望しちゃうことがあります。トラウマも自覚症状ないことが多いので、適切な治療が受けられなくて悪化させてしまうんだと思います。
いじめは学校を転校したり、行くのを辞めたりすれば、いじめの被害には遭わずに済みます。でも、先のことを考えちゃうから、なかなか親も子供自身も決断できないんですよね。このまま引きこもりになったらとか、仕事に就けなくなるんじゃないかとか。色んな働き方がある多様性のある社会になればそういう不安も減るのではと思います。こういう学歴がないととか、一度でもレールから外れたらいけないとか強迫性の高い社会は結局誰も幸せにはできないのではないでしょうか。

自殺の相談を受けてしまった人へ

友達や家族から死にたいと相談を受けてしまうとどうしたらいいかわからなくなりますよね。的確なアドバイスをすることは不可能に近いので、とにかく話を聞いてあげるのが良いと思います。辛いね、大変だねとただ共感して聞いてもらうだけで相手は随分と楽になるはずです。
そうするとひっきりなしに連絡が来てしまう可能性もありますが、全部受けていたらつぶれてしまうので、適当な理由をつけて無理のない範囲で対応してあげるので良いと思います。運悪く、相手が亡くなってしまうこともあるかもしれませんが、それはあなたのせいではありませんので、自分を責めないようにしてください。どんな状況でも生き残る人は生き残ります。


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2019年1月14日
から YURI
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鬱病、自殺未遂から得たこと

鬱だとわかった

こんなになるまで自分が鬱病だなんて思わなかったのですが、鬱だとわかり効く薬を手に入れられたことで今までの辛さを改善する手立てになりました。
中学生くらいから疲れやすくなり、高校の時は学校から帰ると起き上がれないこともありましたが、筋力が無いわけでもなく、鉄分が足りていないわけでもなく、ましてや努力や根性が足りないわけでもなく、鬱で脳内物質に偏りがあったからなんですね。
私は不安がそこまで強くなく、疲れやすさや無気力として表れるために気が付かず、明後日の方向に努力をしていたわけです。自分を責めて追い詰めながら。
その後、アモキサンは常用しなくなります。疲労感が強くなって辛くなったら飲む程度でした。セントジョーンズワートというハーブのカプセルを飲んだ時にアモキサンと近い効果(疲労を取る)があることがわかり、ハーブに切り替えていきました。
セントジョーンズワートも特定の薬を効きにくくしたりする効果があり、取り扱い注意のハーブなんですけどね。
20代半ばくらいまでたまに飲んでいました。

毒親、アダルトチルドレン、ADHDについて知った

精神病について調べている過程で知ることができました。自分の親ってひどいよな、程度にしか思っていなかったのですが、毒親の多くの項目に当てはまることがわかり、自分はアダルトチルドレンである可能性が高いことに気付きました。精神面の問題は自分の心が弱いからとか根性がないからとかではなく、育った環境によるものだということがわかり、自分を責めることが減りました。
また、ADHDについても知ることができ、片付けられないことや集中できないことが、これまた自分のせいではなく生まれつきの脳の構造によることではないかと考えることができました。
原因がわかったことで対処法もあるのではないかと思うことができ、自分を責めて努力で克服しようとして挫折するというどうしようもないスパイラルから抜け出せる可能性を見出すことができたので、自殺しなくても大丈夫かもしれないと思えるようになりました。よく、病気とか親のせいにして逃げているという人もいますが、「逃げる」ということとはまた違うと思っています。

今を楽しんで生きることができるようになった

それまでは何をするにも、何らかの効果とか結果を求めて行っていましたが、ただ楽しむためだけに物事を行えるようになりました。
鬱で友達に相談した時に返ってきたキーワードである「楽しむ」という言葉について、半引きこもり期間にずっと考えていました。
自分に足りないところばかりに注目してそこを埋めようとすることも止めました。(何にもできなくなっちゃったので)
人より秀でなければという強迫観念も持たなくなりました。(最低限のこともできなくなったので)
そして、このままの何もない自分でも、みっともなくても、人より劣っていても、それでも何とか生きていこうと考えた時に、ただ今を楽しんで生きるということができるようになりました。
そうしたら、めんどくさくてできなかったことに取り組めたり、人や物事に対して丁寧に接することができるようになりました。
「それやって何になるわけ?」という思考と決別できたことが収穫でしたね。

目に見えない世界、運命について体感した

自殺を企てた際に、思いとどまらせるような電話が2本連続でかかってきたり、飛び降りようとしている時に父親が入ってきたりと、自分が死のうとすると目に見えない力が動いて止めてくれたという経験から、スピリチュアルな世界の存在を感じました。
運命で定められていないことは、自分がしようとしても止められるし、逆にやるべきことは意識的に行わなくても自然とそうなっていくんだという法則に触れたような気がしました。
また、ホームレスになると強く思い込んでいましたが、結局なっていないし、自分が不安に思うことって必ず実現するわけじゃないこともわかりました。
このことはその後の人生で迷う度に思い出します。そして、心配しすぎなくても大丈夫なんだと、流れに身を任せていればいいのだと自分の心を軽くしてくれます。


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