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鬱病、自殺未遂から得たこと

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鬱だとわかった

こんなになるまで自分が鬱病だなんて思わなかったのですが、鬱だとわかり効く薬を手に入れられたことで今までの辛さを改善する手立てになりました。
中学生くらいから疲れやすくなり、高校の時は学校から帰ると起き上がれないこともありましたが、筋力が無いわけでもなく、鉄分が足りていないわけでもなく、ましてや努力や根性が足りないわけでもなく、鬱で脳内物質に偏りがあったからなんですね。
私は不安がそこまで強くなく、疲れやすさや無気力として表れるために気が付かず、明後日の方向に努力をしていたわけです。自分を責めて追い詰めながら。
その後、アモキサンは常用しなくなります。疲労感が強くなって辛くなったら飲む程度でした。セントジョーンズワートというハーブのカプセルを飲んだ時にアモキサンと近い効果(疲労を取る)があることがわかり、ハーブに切り替えていきました。
セントジョーンズワートも特定の薬を効きにくくしたりする効果があり、取り扱い注意のハーブなんですけどね。
20代半ばくらいまでたまに飲んでいました。

毒親、アダルトチルドレン、ADHDについて知った

精神病について調べている過程で知ることができました。自分の親ってひどいよな、程度にしか思っていなかったのですが、毒親の多くの項目に当てはまることがわかり、自分はアダルトチルドレンである可能性が高いことに気付きました。精神面の問題は自分の心が弱いからとか根性がないからとかではなく、育った環境によるものだということがわかり、自分を責めることが減りました。
また、ADHDについても知ることができ、片付けられないことや集中できないことが、これまた自分のせいではなく生まれつきの脳の構造によることではないかと考えることができました。
原因がわかったことで対処法もあるのではないかと思うことができ、自分を責めて努力で克服しようとして挫折するというどうしようもないスパイラルから抜け出せる可能性を見出すことができたので、自殺しなくても大丈夫かもしれないと思えるようになりました。よく、病気とか親のせいにして逃げているという人もいますが、「逃げる」ということとはまた違うと思っています。

今を楽しんで生きることができるようになった

それまでは何をするにも、何らかの効果とか結果を求めて行っていましたが、ただ楽しむためだけに物事を行えるようになりました。
鬱で友達に相談した時に返ってきたキーワードである「楽しむ」という言葉について、半引きこもり期間にずっと考えていました。
自分に足りないところばかりに注目してそこを埋めようとすることも止めました。(何にもできなくなっちゃったので)
人より秀でなければという強迫観念も持たなくなりました。(最低限のこともできなくなったので)
そして、このままの何もない自分でも、みっともなくても、人より劣っていても、それでも何とか生きていこうと考えた時に、ただ今を楽しんで生きるということができるようになりました。
そうしたら、めんどくさくてできなかったことに取り組めたり、人や物事に対して丁寧に接することができるようになりました。
「それやって何になるわけ?」という思考と決別できたことが収穫でしたね。

目に見えない世界、運命について体感した

自殺を企てた際に、思いとどまらせるような電話が2本連続でかかってきたり、飛び降りようとしている時に父親が入ってきたりと、自分が死のうとすると目に見えない力が動いて止めてくれたという経験から、スピリチュアルな世界の存在を感じました。
運命で定められていないことは、自分がしようとしても止められるし、逆にやるべきことは意識的に行わなくても自然とそうなっていくんだという法則に触れたような気がしました。
また、ホームレスになると強く思い込んでいましたが、結局なっていないし、自分が不安に思うことって必ず実現するわけじゃないこともわかりました。
このことはその後の人生で迷う度に思い出します。そして、心配しすぎなくても大丈夫なんだと、流れに身を任せていればいいのだと自分の心を軽くしてくれます。


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投稿者: YURI

1982年生まれ。幼少の頃よりアトピー、アレルギー性喘息、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎を持つ。成長と共に症状は軽くなるものの、就職をきっかけにアトピーが激悪化。以降、10年以上に渡ってアトピーに苦しむ。また、家庭環境と本人のADHD的な性質により、アダルトチルドレンになり、鬱を患い、自殺未遂も経験する。

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