青空に向かって咲くために

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中学校3年間を生き抜くためにやったこと

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今までの人生を振り返ると、中学生の3年間が一番ハードだったと思います。
大学生の時に自殺未遂したこととか、ブラック企業で体調を崩したり、アトピーが悪化して関節も動かせなくなったことなど、大変な時はたくさんありましたが、中学の時ほど選択肢がなく四面楚歌状態だったことはありません。

家庭では母親の暴言、暴力、過干渉(部屋の捜査や監視など)の頻度、強度が上がり、学校ではスクールカーストのほぼ底辺に落ちてしまって、どこに行っても地獄でした。

中学生が大変なのは、家と学校という狭い世界しかないので、その2つが終わっていると人生詰むところです。
よく大人は、「人のことは気にするな」とか「人は他人の細かいことなんて見てないよ」とか言いますが、中学生に至っては違います。
ジャージの数cmの長さの違いで、カーストが低下してしまいますし、皆が見ているテレビ(今の時代だとゲームアプリとかも)を知らないだけで非人間扱いです。
学校が嫌でも辞めることはできないし、流行りの服や持ち物を自分のお金で買うこともできません。
それに比べると、大人もたくさん大変なことはありますが、働く場所やお金の使い方など自分で選べることも増えるので、不幸な環境から抜け出す可能性はあがります。

私が中学生時代をサバイバルするために行ったのが以下の方法です。

おもしろいキャラになる

人に嫌われないためにはどうしたらいいかを必死で考え抜きました。辿り着いた答えは「快」の刺激を与える人間を人は嫌わないのではということでした。
あと、笑っている瞬間って人間は思考できないことが多いです。笑わせていれば、自分のことを嫌ったり悪く考えることができないのではと思いました。
人を笑わせる方法については、当時人気のあったHEY!HEY!HEY!という番組のダウンタウンの二人の掛け合いや切り返しを参考にしました。あまり自由にテレビを見られないので、その番組だけはビデオ(時代を感じる!)に録って親のいない間に見ていました。

相手の味方になる

相談に乗ってあげたり、その人にとってベストな対応を取ります。対個人向けの対策です。
これも相手に利益をもたらす人間を人は嫌わないのでは、という仮説に基づいています。
とにかく話を聞く、否定しない、ということがポイントです。

悪口を言わない

これがとっても重要です。
人を笑わせたり、人の相談や愚痴を聞いてる時に悪口に発展するということはよくあります。
本当にこれが落とし穴で、その時は相手も悪口を言ってるのに、後になって本人に告げ口したり嵌められたりすることがあったんです。
なので悪口は言わない。愚痴られてる時は、「そんなことがあったんだ~。それは嫌だよね~。」程度の共感にとどめたり、同意を求められたりした時は「私は何かされたことがあるわけじゃないから何とも思ってないけど、○○ちゃんがされたことはひどいよね。」とか言って切り抜けていました。今振り返るととてもめんどくさいですね。でも、当時は生きるために必死だったんですよね。

メリット

・コミュ力がつく
表面取り繕っただけの偽のコミュ力な気がしますが、どんなタイプの人とでもそれなりに会話したり、浅く関わることができるようになります。この力は行動範囲を広めたり、仕事で人と関わる時に役に立ちました。

・観察力、洞察力が身に着く
常に人の顔色を窺い、相手が喜ぶことや嫌がることに気を配っているので、観察力や洞察力が身に付きます。これも営業関係の仕事で約に立ちましたね、あと人に嫌われることは減りました。

・いじめが続かず、なんとか中学を無事卒業できた
スクールカーストが下がりまくった時期が3回ほどありましたが、長期に渡らず、カースト固定を避けられました。中学生活はストレスがたまることが多く、安らぎはありませんでしたが、部活やイベントの参加など多少は楽しめたと思います。

デメリット

・自分の感情は常に後回し
人に嫌われないことが大前提で、人のことばかり気にしているので、当然自分のことは後回しになります。自分が何をしたいのか、どういう人間なのか次第にわからなくなってきました。

・自己開示できない
自分の好きなこと、自分がやりたいことを人に言えなくなりました。常に相手に合わせて、偽のキャラクターを演じてしまいます。なので、本当の意味で仲良くなれた人は少ないです。

・モテない
人を笑わようとして、やりすぎました。写真はいつも変顔だし、笑いを取ろうとする言動が目立った変わったキャラになってしまいました。全然モテずに、イロモノキャラだったと思います。恋愛面の青春は犠牲にしましたが、ひとまず生き延びられたのでよしとします。

今思えば、もっと良いやり方はあったと思います。でもそれを知っていたとしても、中学生という環境に置かれた自分にそれができたかはわかりません。
問題もあった方法ですが、一番きつい時期を何とか生き延びられました。あの頃の自分に、ありがとう&お疲れ様を言いたいですね。


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投稿者: YURI

1982年生まれ。幼少の頃よりアトピー、アレルギー性喘息、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎を持つ。成長と共に症状は軽くなるものの、就職をきっかけにアトピーが激悪化。以降、10年以上に渡ってアトピーに苦しむ。また、家庭環境と本人のADHD的な性質により、アダルトチルドレンになり、鬱を患い、自殺未遂も経験する。

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