青空に向かって咲くために

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自分の輪郭がわからない

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会話の内容や趣味など、その時々によって周りに合わせてきたので、本来の自分と合わせて作りだしたキャラクターの区別が曖昧になってきました。
そのため、好きなこと、考えなどをノートに作ってまとめていました。日記もつけていて、できごととそれに伴う自分の感情を記していました。そうしていないと、自分というものが溶けて流れていってしまう気がしていました。
友達にはこう言ったけど、本当の自分の考えはこうなんだとか、誘われて映画を見に行ったけど、本当に見たかった映画はこれで自分の好みはどうなのかとかを、ノートに書いて何度も見て確認していました。
どこからどこまでが自分なのか、よくわからなくなってきていたし、見失わないために必死でした。
感情も遅れてやってくるし、感覚も希薄でした。
自分の輪郭と周囲の世界がぼやけて曖昧になっていくような感じがありました。
自分の体はどこからどこまでで、他人との境界はどこにあるのか、気を付けていないとそれもよくわからなくなりました。
私は幸運にもリストカットは未経験で生きてこられましたが、してしまう人の気持ちはわかる気がします。
理由はいくつかあるでしょうが、この世界に生きている感覚を痛みによって取り戻している部分があるように思います。
生きているか死んでいるかわからなくなる恐怖。生きていること、自分の感覚があるのを確認するために痛みを利用している。
普通の人にはあたりまえすぎて、空気のように意識しないことだと思いますが、その感覚が不確かになるのはとても怖いことでした。


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投稿者: YURI

1982年生まれ。幼少の頃よりアトピー、アレルギー性喘息、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎を持つ。成長と共に症状は軽くなるものの、就職をきっかけにアトピーが激悪化。以降、10年以上に渡ってアトピーに苦しむ。また、家庭環境と本人のADHD的な性質により、アダルトチルドレンになり、鬱を患い、自殺未遂も経験する。

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