京都でお金を使う

大学3年生の春休みに古美術の授業で京都・奈良の研修旅行がありました。
その旅行に参加し、別のクラスの子と知り合い一緒に行動することになりました。

その中に、おしゃれで派手で可愛くて金遣いの荒い二人組がいました。
歯科助手のバイトをしているそうで、月に15万くらい自由になるお金があるそうです。

その頃私は週に2回お弁当工場で働いていて、月に入るお金は5万弱。
これは鬱が明けてから始めたバイトで、それまではバイトしていなかったので、自分的には5万円バイト代が入るってすごく大きくて、
洋服とか買えるようになったと喜んでいたんです。
なのに、同じ大学生でバイト代15万て・・・。

すぐにタクシー乗っちゃうし、食べたいものとか躊躇なく買うんですよ。
宿の近くのバーにちょっとカクテル飲みに行って、1杯で1800円とか。一緒にいるとどんどんお金が無くなっていく・・・・!

で、旅行中に一緒に行動しているグループ内で誕生日を迎える子がいて、その金遣いの荒い二人組がプレゼントを買おうと提案したのです。
「一人1000円出して!」(あれ2000円だったかな?)と言われた時、旅行参加前はその子の友達ではなかったA子ちゃんが、その金額はちょっと・・・と出し渋ったのです。
まあ、最近知り合ったばかりの友達にそんな金額出すのはと躊躇う気持ちもわかります。
そうしたら金遣いの荒い子が、
「5000円くらいで何が買えるっていうの!ろくなもんプレゼントできないじゃん!」と言い放ちました。
5000円くらい!?えええええ!5000円もあったら色々買えるよ!3000円でもそこそこ良いものが買えるのに!
お金に対する価値観が全然違うんですね。そして、自分を押し通せる強さといったらもう!私にないとこばっかりで尊敬できるレベルです。

結局、言われた額を徴収され、プレゼントすることになりました。
もらった子もありがとーみたいに軽い感じで受け取っていました。

この旅行では予想以上にお金を使ってしまったんですが、でもとっても楽しかったんです。
お金をじゃんじゃん使ってやりたいことをやるってこんなに楽しいんだ!
溜まっていた毒素がお金と一緒に流れていったような気がしました。

それまで私はお金を使うことに罪悪感を持っていて、500円のラーメンを食べるのに理由つけて自分を正当化したりしていました。
楽しいから、欲しいからという単純な理由でお金を使ってはいけないのではないだろうか、将来的に役立つものとか、必要度が高く長く使えるものではないといけないのでは、と買い物するのにいちいち考え抜いていました。

これが鬱の原因の一つだったと思うのですよね。
今のお金じゃなくて、将来的なことも併せて考えちゃうし、結果的に我慢することの方が多くなる。

で、なぜこんなにもお金を使うことに罪悪感があるかっていうと、私が生まれたせいでお金がかかっていると親からよく言われていて、生きるコストを親に負担させていることに罪悪感を入れられていたんですよね。
で、お金のかかることは我慢するようになる。お金を使ってしまう!という恐怖感があるから。

そういえば、京都の旅行でプレゼントをもらった子は「お金がなくなったらお母さんにもらおうよ!」と無邪気に言ってしまうような子でした。それも聞いた時衝撃だったんですよね。
お母さんに!お金を!もらう!?みたいな。
遊ぶお金なのに?勉強とか、最低限度の生活(文化的は含まれません)を送るのに必要なものでもないのに?
それは言うだけでもらえるの?借用書とか誓約書(このお金をもらった限りはテストで90点以上を取ります的な)とかの書類は要らないの?
前々からやばい環境だったと思ってはいましたが、今こうやって文章にするととんでもないところで育ったんだなと思います。

「お金」って病の根っこの部分、発作や支配にすごく関係していると思います。

「お金」については、今もまだ克服中の部分がありますね。


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